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河童の真実

【河童の真実】

私が制作会社に勤めていた時の実話です
全国に伝承される河童の本当の正体とは?この仕事は成功し実際に番組も放送されましたが、カメラを止めた後に私が河童の真実を知ることになった話です、取材を進めて行く過程での苦難、メディアを追い返すお爺さんの心境、河童のミイラを追いかけた我々スタッフの心境、取材に協力してくれたお爺さんの心の移り変わり、そして最後にカメラを止めてくれと言って語りだしたお爺さんの驚愕の話
※現在Googleで検索しても一番上に出て来る一番有名な河童のミイラを当時始めて世間に紹介する所有者の葛藤や複雑な気持ち…その心の移り変わりと河童の真実に関する驚愕の話です、
単に河童の真実はこうだ!と書くのは簡単で誰にでも出来ると思いますが、実際に取材を通して深く考えさせられたのは河童のミイラを取り巻く人々の心境や人間模様です、それも含めてお伝えできればと思います

私が制作会社に勤めていた時の話です。

水郷として知られるある村には古くから伝わる河童伝説があります。
実はそのある村にはまだメディアにも取り上げられてない河童のミイラの噂があるらしく、その河童のミイラは老夫婦が代々守り続けており決してメディアには見せないのだとか。

その門外不出の河童のミイラを見つけ出しTV特番を組むという仕事だった。

情報はクライアントから送られてきた男性の名前だけ。

実はこちらで男性の名前から住所は割り出せたのだがそれ以上の詳細は全く不明のまま東京から来たクライアントと合流しTVクルーを組んで取材に向かった。

まずはドキュメンタリーチックに村周辺の人々にカメラを向け男性の名前は伏せた状態で河童の伝説や河童のミイラの噂を知っているのか聞き込み調査・インタビューを行う事にした。

道行く人々にインタビューを行うと「河童伝説はあるがミイラの話は知らない」という、そこで我々は更なる情報を求めて河童のお土産などを扱う商店街に向かう事にした。

場所を移し商店を営む方々にインタビューをするとお店のPRを挟みながらも凄く協力的に対応してくれた、
商人:「この村には幾つもの川が流れていてもちろん古くから河童伝説もあるし小さい頃に祖父母からも聞いた事がある」と、
そこで我々が「河童に詳しい方が居れば紹介して欲しい」と伝えると、
商店の方々は皆『同じ男性の名前』を口にした。

しかし、『その男性は』どのメディアにも会わないらしく最近も新聞社が追い返されたばかりだという。
そう、『この男性の名前』こそ我々が探しているクライアントから伝えられた唯一の情報である『男性の名前』と同じだったのだ!

商店の方も道行く一般の方もインタビューには喜んで答えてくれるのだが、インタビューを重ねていくうちに我々はある法則というかパターンに気が付いていく事になる。
道行く一般の方は皆インタビューには楽しそうに
村人:「河童伝説はあるがミイラの話は知らない、それはただの噂話だろう」と答えるので、
ならば商店で聞いた『この男性の事』を知っているかと訪ねると何故かインタビューは失敗するのだ。
一般の方に河童のミイラの噂とこの男性の名前を同時に出すと何故かインタビュー中にも関わらず話を打ちきり、
村人:「これは流さないでくれ、使わないでほしい」というのだ。

その理由はこの時はわからなかったがとりあえず聞き込み取材でわかった事はこの男性は老夫婦の二人暮らしで連絡手段もなく直接メディアが行っても門前払いされるという。

我々はこの情報を踏まえて追い返されないように作戦を立てる事にした、
その作戦はこうだ!
作戦:『まず一人で家に行き河童の話には一切触れず、今は失われた昔の暮らしを経験した方に人生の先輩としてどのようなお考えをお持ちか、また今の若い世代に伝えたい事などのお話をお聞きしたい、村の方への聞き込みでそのような経験豊富なご尊老がこちらに住まわれていると聞いたと説明する、その時はマイクも照明もカメラもメモ帳すら持たない事にする』

聞き込みの情報を元にその住所まで車を走らせると川沿いに時間が止まったかのような雰囲気ある家屋が見えて来た。

少し離れた場所に機材車を停め誰が最初に行くのかを決める、先程の作戦内容からファーストコンタクトは学生風の若者がいいだろうとの判断で、比較的若い音声担当者が一人で行く事になった。

しかし…

話を聞きに行ったはずのスタッフは5分もせず呆気なく帰ってきてしまった。

車内で詳しく話を聞くと、家にはお婆さんが居たらしく玄関越しに、
婆:「今はお爺さんは不在で私一人しか居ない携帯もないので連絡もつかない」以上。

やはり我々も追い返されたのか…玄関すら開く事はなかったらしい。スタッフ一同落胆。

しかし、ここまで来て何の情報も得られず帰りたくはない、せめて顔だけでも見せて欲しい、そんな思いで今度は若いスタッフ2人で挑戦!

車内で待機していると、再度挑戦したスタッフ2人が戻って来た。
スタッフが言うには、なんとお婆さんが出てきて我々にも会って話をしたいらしく、車で待機していた我々を呼びに来たのだ。

今度は機材は何も持たず全員で行く事にした、どちらかと言うと取材を決行するというよりも、素直に追い返される理由をスタッフ全員で聞きたかったのだ、そうすれば今回この河童の話をここまで追いかけて来た我々スタッフも一人ひとり納得できるだろうと。

そんな思いで家に向かうと、その玄関の奥には優しそうなお婆さんが一人立っていた、我々がこんな人数だとは思ってなかったようで驚いている。
我々が追い返される理由を聞こうと質問する…先程は何故出て来てもくれなかったのか…?
我々:「やはり色んなメディアが有り中には失礼なメディアもあったかも知れない、代わりにお詫びする…」するとお婆さんは、
婆:「最近、脚の調子がおもわしくなく先程は玄関も開けず申し訳なかった、私は追い返えすつもりはないが、それでもお爺さんは会わないだろう」と、
そこで、本当にお爺さんは今家に居ないのか聞いてみると、
婆:「いつ戻るかはわからないがたぶん畑仕事でもしてるんじゃないか」と、
普通に出掛けているだけのようなので、離れた車内でお爺さんの帰りを待って直接お話してもいいか聞くと
婆:「それはあなた達もその方が納得出来るだろうし構わない」と、

自分達がここまで追いかけて来た河童の取材が途中で終わる、ただその納得出来る理由を聞く為だけにいつ戻るかわからないお爺さんを車内で待った。誰一人反対はしなかった。

すると数時間後、我々の車に一人の男性が近づいて来た。

扉を開けるとそこには背の高い老人が立っていた…
老人:「お婆さんから聞きましたよ、遠くから来られたようで…まだ皆さん待たれてたんですね、実は私は車が止まってるのは知ってました、遠くからいつ帰るのか見てました」

名前を確認すると老人は間違いなく我々が探しているクライアントから伝えられた『あの男性』本人だった!

我々はお婆さんの時と同様にこれまで男性に嫌な思いだけをさせてきたであろう失礼なメディアの代わりにお詫びをした。
するとお爺さんは、
爺:「あなた達はいつまでも帰らないので声をかけに来た」と、
たぶんお爺さんは我々が遠くから来たのを知って忍びなく思ったのだろう、
お爺さんはこう続けた、
爺:「この前も新聞社がいきなり来てちゃんと私の話も聞かずカメラでパシャパシャとやったから追い返した。しかし、お婆さんも言ってたがあんた達は何か違う」と、
そこで我々も、
我々:「もう撮影はしないから記念というか思い出に個人的に家の中を見せてもらえないか」と言うと、
お爺さんの口から、
爺:「そうですか、それでいいなら家でお茶でも一緒に飲みましょうか」と、

もう取材ではなく個人的に家でお話を聞く事になったのだ。

機材も全て置いて家の中に入ると古刀や珍しそうな古道具が綺麗に壁に飾られていた。家の外見からは想像出来ないほどにお洒落だ。

そして本当にみんなでお茶を飲んで色んな話をした。
興味がある古道具を一人ひとり指差し謂れを聞いたり、そこからお爺さんとお婆さんの昔話、便利になった今の我々の生活の中で失われていく人を思いやる心の話まで…

最初に『作戦』と思って立てた事が今となれば作戦ではなく取材とも関係なくそれはただ自然と目の前で繰り広げられていた。

お爺さんは言う、
爺:「便利と引き換えに失った物がここにはある、しかしそれもいつか私達が居なくなればまた全て捨てられ忘れ去られてしまうだろう…」
爺:「しかし、そもそも初めから形がなく残せない物事は言い伝えや伝承の物語などに形を変えて昔の人が今に伝えようとしとるんじゃよ」

今の人達はそれをただの昔話や絵空事の物語だと思っているが、言い伝えや伝承には昔の人々が込めた想いがあり、物語にしてまでなぜそれを伝えようとしたのか、そこにはちゃんと意味があり昔の人々のその真意を考えて欲しいと言う話だった。
若いスタッフの一人はその場で書き留めておきたいと許可を得て紙をもらいその話を個人的に書き留めていた。
お爺さんの話はそれほど説得力のある物だった。

お爺さんは続けた、
爺:「もっと珍しい物があるけど見るか?先祖代々伝わってる物でもう本当は人には見せんようにしとるんじゃけど」

我々:「ぜ、是非…お願いします。」

そう言うとお爺さんは奥の部屋から古そうな木箱を大切そうに抱えて持ってきた。

爺:「これはもう村の人にも見せんのじゃよ。これをいきなり見れば誰でも気持ち悪るがるからな…あんた達には私の大切な話を聞いてもらったからその準備ができてると思うけど、大丈夫かね?」

まさかこれが…一同息を飲んだ。

爺:「昔、村の皆で開けてから表には出さないように決めたんじゃよ、もうあれから何年も開けてないから開けるのを手伝ってくれるかね?」

丁寧に結ばれた紐をゆっくりと解き、朽ちて変色したような木箱を慎重に開ける…

するとそこには…
全身は白っぽい土色で、大きさはネコか子犬くらい、何かにしがみつくように手足を折り曲げ四つん這いになった姿勢で、背中には甲羅は無く代わりにゴツゴツと浮き立った骨のような物、腕は細く弱々しい、
こ、これは…人間の胎児のミイラか…
いや、よく見ると顔の骨格が地球人のそれではない…。
首をもたげ何かを叫ぶかのように開けられた口、大きく窪んだふたつの目、この世の物とは思えない…
それはまるで宇宙人のミイラのように見えた…。

爺:「最初はまたどこかの記者が来てるのかと思ったが、あんた達は違った、あんた達は私の話を真剣に聞いてくれ、私にもう一度これを見たいと思わせてくれた…これが先祖代々河童のミイラとして伝わってる物じゃよ!あんた達、本当はこれを撮影しに来たんじゃろ?」

我々:「は…はい、実はそうです、村の方や商店の方達にも河童伝説について聞き込みをさせていただきました」

爺:「村の人達はなんて言ってたかね?」

我々:「村の方は河童伝説は知っているが、ミイラの話は知らない、ただの噂話じゃないかと言われてましたが、皆さんお爺さんの事はご存知のようでした」

爺:「そ…そうですか、みんな私の事を気持ち悪がってたじゃろ?ま、まぁいい…」

爺:「ところであんた達はこれを何と思うかね?」

我々:「んー…なんですかね?」

触ってもいいと言うので触らせてもらった、四方八方から全員でじっくり観察した。

爺:「昔は猿もいたし猿かとも思ったんじゃが、それにしてはどうも違うじゃろ?」

我々:「顔も手足の指の数も違いますね…」

爺:「これはこの家に先祖代々言い伝えられていた物なんじゃが、実はなんだかわからんのじゃよ、でも、ほらここに河伯という文字があるんじゃよ」

我々:「本当ですね…この文字はなんて読むんですかね?」

爺:「私も調べたんじゃが河童の事じゃないかと思うんじゃよ…あと私が見つけたんじゃが不思議なのは尻尾の跡のような物もあるんじゃよ、ほらここ、あんた達にはこれ何に見えるかね?」

そう言ってお爺さんは尾尻の跡のような物を見せてくれた。

我々:「本当だ…これ尾尻のように見えますね…」

爺:「繋ぎ目とかも全くないんじゃよ、ほら」

いつの間にかお爺さんと我々はこのミイラが何なのかその正体を暴こうと全員で意見を交わし茶飲み仲間の様になって夢中で話を続けていた。

爺:「折角あんた達は遠くから来て村の事もピーアールしてくれたんだから撮って行きなさい!」

我々:「えっ、いいんですか?」

爺:「かまわんよ、あんた達も私の話にこんなに付き合ってお茶だけ飲んで帰るわけにもいかんじゃろ、でも…私は何も話さんし映らんよそれでもいいなら」

なんと諦めていた河童のミイラの撮影許可がもらえた…

これにビックリしてるお婆さんにも撮影許可をもらい急いで機材を取りに車に戻った。
お爺さんの気が変わらないように細心の注意を払ってスチールカメラは無し、ナレーションも無し、ピンマイクも無し、TVカメラ1台に布を被せて持ち出した!

さっきまで皆でお茶を飲んでいた座敷机に布を敷きその上に河童のミイラを置き撮影は始まった。

実はこの時に河童の手のミイラと云われる物もあるとの事で一緒に撮影した。

お爺さんは何も言わず部屋の隅で黙ってこちらを見守り続けていた。

ある程度の撮影を終え、ナレーションは無しの予定だったがやはり撮れるものならと小さな声で「これが河童のミイラ…」とナレーションを入れていたその時!

お爺さんが沈黙を破り口を開いた!
爺:「もういいじゃろ、カメラを止めてくれ!」

…撮影はここで終了した。

お爺さんはカメラを止めて、先程の茶飲み仲間と話すのとは違う、真剣な口調で我々に語り始めた…。

爺:「私もこれが何なのかいろいろ考えたんじゃよ」

爺:「私は思うんじゃよ、これは河童のミイラと云われているが、違うんじゃないかと」

爺:「表向きには河童のミイラとして、村おこしにでもなればいいと思っとったんじゃよ、でもその内、私の事を気持ち悪がるように言う人も出てきたんじゃよ、商売人は凄く喜んでくれてるんじゃが…一般の人はこんな気持ち悪いミイラが村にあるなんて村おこしどころか逆効果じゃないかって言う人もおるのが現状じゃよ…」

なるほど、あの時はわからなかった理由がわかって来た、商店の方々がインタビューに凄く協力的だった事、村の一般の方にインタビューを行う時に河童のミイラの噂とこのお爺さんの名前を一緒に尋ねると何故かインタビューを打ち切る人が多かった事。

狭い村で河童のミイラを取り巻く人間模様…そしてお爺さんがメディアを追い返す理由を察した。

爺:「しかし、こんな物がなんで家にあるのか…その意味はちゃんとあると私は思うんじゃよ」

我々:「どういう事ですか…?」

爺:「私はこれが何なのか何度も何度も考えた、そしてこれが本当の河童なのかは関係なくて、実は昔の人が伝えたかった真意が別にあるんじゃないかと思っとるんじゃよ、全国にも河童の言い伝えがあるじゃろ?他に河童のミイラも残っとるじゃろ?あれは昔の人々が伝えたくても伝えられない古来からの文化や風習を河童の物語に形を変えて未来の人に昔はこういう事があったんだと伝えようとしたんじゃないかとね…」

我々:「…」

爺:「昔はね医療も今みたいに進んでなくてよく赤ちゃんが死んで生まれて来たり、生まれても直ぐに亡くなったりしてたんじゃよ、幼い子も病気になったりして亡くなったり、そういう事が昔は日常茶飯事だったんじゃよ…そういう時はまた産まれかわって来いよという願いを込めて亡骸を川に流して水葬にしてたんじゃよ、昔は日本の各地でそういうことが行われてたと思うんじゃよ、それが弔いの儀式で最高の儀礼だったんじゃよ、それを気味悪がったり隠そうとするのは違うと思うんじゃが…今はそういう文化や風習は禁止され廃れ、中には気味悪く思う人すらいる…伝えたくても大っぴらには伝えられないそういう事柄が日本の各地に沢山あると思うんじゃよ、この河童のミイラも昔の人々がこうまでして今の人に伝えたかったひとつなんじゃないかと思っとるんじゃよ…」

赤ちゃんの薄い頭の皮膚は川の石で削られ頭蓋骨が露出しちょうど河童の頭のお皿のように見えたかも知れない…

背中も川底の小石で削られ骨が河童の甲羅のように見えただろう…

皮膚は水で変色し緑色に近かっただろうし…

唇は水で腫れて河童のくちばしのように見えたかも知れない…

目も同じく腫れて…

それを川で遊ぶ子ども達が何か恐ろしい者に見間違えた…

それが河童伝説の『真実』かもしれない。

我々はそんな話しをお爺さんとしました。

言い伝えや伝承などには昔の人が今に伝えようとしている真意が隠されている

お爺さんのその言葉が今でも胸に響いています。

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